語彙力のないオタクと声のでかいウェイ

言葉にしないと伝わらないことはあるのだが、その一方で言葉にすると薄っぺらくなってしまうことがあると思っている。

 

映画でもアニメでもなんでもいいが、「いいものだった」と思えるようなものに出会ったとき、その良さを表現するのが難しいのかもしれない。最終的に「尊い」「好き」「優勝」「(良すぎて)生きるのが辛い」「ガルパンはいいぞ。」といったように語彙力が低いオタクになってしまうのも同意できる。

逆に語ってしまうことで作品を貶めてしまうような気すらしてしまうのである。

 

「○○が泣ける」「○○が感動できる」というのは理解できなくはないのだが、何も知らない時点でそういった話を聞くと、とても薄っぺらく感じてしまう(半分くらいは全米が悪い)。

大体の場合「見れば良さがわかる」といった評価の作品は、見れば本当にわかるし、見た後の評価もやはり「見れば良さがわかる」となり、それしか言えなくなることが多い。逆に言うと、そういった評価の作品は信頼できることが多い(好みが分かれることもあるが)。

 

もちろん、作品の良さを表現することを否定しているわけではない。上手く表現できるその能力は尊敬できるし、自分も同意できる点や気づかなかった点を新たに知ることが出来たりすることもある。ただ、我々にはその表現力が足りないだけである。

 

それ以外に、作品を見た後の余韻に浸りたいということもある。素材の味を噛み締めるかのように堪能する、そういった楽しみ方もある。他の人と語り合うのもいいかもしれないが、個人的には違う解釈とぶつかってしまったときに余韻が消えてしまうので避けたい。

 

 

問題はその評価を他人に押し付けること。

例えば「その作品を見てない(見ている)なんて損している」といった声。

最近だと「ドラゴンボールを見ていないなんてありえない」みたいに言われたという話を目にする。

 

好き嫌いなんて言うのは個人の好みなので、「あなたが好きなその作品を嫌いな人がいてもおかしくはないでしょう」と思うのだが、どうもそうではない人がいるらしい。

世の中には「自分が好きなこの作品は全人類が好き」でないと気が済まない人がいるようだ。

個人的な意見だが、そういった人間は声がでかい(物理的な意味ではなく、なんでも主張したがる)人間に多いように思う。困ったことに声のでかい人間はたいてい自分を中心に世界が回っていて自分が正しいと(無意識かもしれないが)思い込んでいる。

 

少し話が逸れるが、昔こんなことがあった。

中学生の頃に席替えをした時のこと。自由に席を選ぶか、くじ引きで席を決めるか、という話になり、結果的にくじ引きになった。(個人的にはクラス内カースト上位が自分勝手に決める自由席よりも公平性のあるくじ引きの方が良いと思っていた。)

しかし、くじ引きが終わり、全員で移動を開始しようというタイミングになって騒ぎ出すやつがいた。曰く「隣の席になるやつが嫌いだからこの席は嫌だ。自由に決めさせろ。」と。お前今それ言うんか?頭おかしんじゃないか?と思ったものの、それは通らないだろうと思っていた。

ところが、その意見に担任教師が折れてしまい、通ってしまったのだった。結局自由に席を選ぶことになってしまった。

なぜ自分勝手な奴はそんなに自分勝手なのだろうか。教師も教師であまりにも情けない。なぜそこで言いくるめられないのか。そこで常識を説けないのか。それまでのくじびきは一体なんだったのか。すべて無駄ではないか。

結局騒いだもの勝ちになってしまったのである。

 

声がでかい人間は、本人がそういう人間だということもあるが、周りがそれを助長させてしまっているのだとも思う。こういった人間は大人になっても変わらないし、少し反対した程度では折れない。そのため、損をする側は反対をすることによる労力の方が大きいと判断し、しぶしぶ折れてしまうし、そのせいで声のでかい人間はもっと増長してしまう。これは社会全体でもよくあることだと思う。(納得はできないが。)

 

 

話を戻すが、作品に対する感想はその人だけのものであるし、それそのものを否定する権利はないし、誰かに強いられるものではない、ということである。

 

 

オタクがワンピースそのもの、もしくはワンピースを勧める人間を嫌っているツイートや書き込みをたまに目にするが、

・ワンピースはウェイ系がよく読んでいる(というイメージがある)

・ウェイ系は声がでかい人間が多い

・感想が薄っぺらい(ように感じる)

・ウェイ系が声がでかい人間が多い

・そもそもの母数が多いため変な人が目立つ

・ウェイ系が声がでかい人間が多い

 といったことからも、嫌われてしまうのは仕方ないのかもしれない(個人的な意見)。

 ワンピースを貶めたいわけではない。ルフィは嫌いだけど(個人的な意見)。

 

 

 

なお、製作側に「面白かった!よかった!すき!」という評価が伝わらないという点については考慮しないこととする。

 

 

 

 

まとめ

・多くを語らなくても良さがある

・声がでかい人がいると辛い

・周りは納得しているわけではなく、反対するほうが不利益を被ると判断している

ガルパンはいいぞ