これからどうしよう。

とある人の「"他人の目に触れる形で残す"こと自体が意味のあることだと思う」という文章に激しく共感した。

それと、何かしらのアウトプットを行わないとどんどん頭が悪くなるというか、思考力が著しく下がっていくように感じたため、アウトプットを行う手段を考えた結果、ブログに残すという形に至った。

初エントリーが重くなる予感がする。

 

 

実をいうと2ヶ月前までは社会人だったのだが、働くのが辛くなり会社を辞めた。

正しくは働くと言うよりも何かをする意欲がなくなったという方がより近い。

仕事を辞めてやりたいことをやれば少しは回復するだろうと思っていたが、困ったことに何もやりたいことが出てこなかった。

昔はゲームをやったり本を読んだりしていた。今はゲームも本も買ったはいいものの、手をつけることが出来ていない。病院で診断を受けたわけではないので確実なことは言えないが、少しうつ気味なのかもしれないと思った。

 

働いていたころを思い返してみると。

まず日常生活で当たり前に行えていたことが出来なかった。帰宅してから風呂に入るのが面倒だった。歯を磨くのが面倒だった。着替えるのが面倒だった。(さすがにそのまま会社には行けないので、次の日の朝になんとかしていた。)

朝起きるのが辛くなった。元々朝は弱い方だったが、より起きられなくなった結果、遅刻が増えた。(そのぶん少し遅くまで作業をすることで勝手に帳尻を合わせていた。特に誰にも咎められなかったためもう考えないことにする。)

通勤電車で寝ることが多くなった。社会人3年目くらいまではソシャゲをやったりツイッターでつぶやいたりしていたが、それすらもできなくなった。降りる駅を通り過ぎることもしばしばあった。優先席ですら積極的に座った。(最も、誰も座らないくらいなら優先席であっても座って良いと思うが。空いてる席の前で突っ立ってる人なんなの?)

人との会話内容が頭に入ってこなくなった。単純に聞こえないのかそれとも聞こえているのに理解が出来ないのかはわからないが、上司と話しているときに聞き返す回数が増えた。

部屋が汚くなった。買ってきた本は地面に平積みになり、掃除機もかけないため埃だらけになった。

パチンコスロットにハマった。仕事帰りや休日にはよく店に行くようになった。あれは頭が悪くなる。でも脳汁はよく出ると思う。何も考えなくても幸福感が得られるのはよかった。

 

会社を辞めてからそれらがすぐに改善することはなかった。

まず体を動かしたくなかった。朝起きるのが難しかった。可能なら一生寝ていたかった。寝ている間は何も考える必要がないからだ。生きると言うことは考えること、死にたいのではなく生きていたくなかった。でも、寝ると次の日になってしまうため、夜は寝るのが怖かった。実際夜は眠れなくなった。社会人の頃は疲れていた事が多く、眠ることの恐怖よりも睡眠欲が勝ったため、少なくとも夜はすぐに眠れた。

 

結局のところ。

こういった状態を改善するのは自分自身以外にはいない。もしかしたら環境に恵まれていれば周りの人が助けてくれたり、周りに助けを求めることができたのかもしれないが、そうはならなかった。(環境に恵まれていたらこうはならないのかもしれないが。)

いや、環境自体は悪くなかったのかもしれない。恥ずかしいことに、いい年をして実家暮らしをしているのだから。しかし親とそういった話をするほどのコミュニケーションはとっていなかった。

(完全に甘えではあるが、そこを責められても辛い。自覚があるだけ余計に辛い。)

 

いずれにせよ、なにかしらの行動を起こす必要はあった。しかし、すぐに就職活動を始めるほどの気力、勇気はなかった。

(勇気、というと大げさかもしれないが、新しく何かをするという行為自体が怖かった。大学時代の就活も辛かったことを思い出した。)

 

 

では何から始めるのか。

 

 

今まで当たり前にやっていたことを当たり前に出来るようにする。

 

部屋の掃除。終わってみれば二日ほどしか時間を要しなかったが、腰を上げるのに半月はかかった。掃除を始めるという行為自体にエネルギーが必要だった。とにかく何もしたくなかったのだから仕方がない。非常に疲れた。が、これを達成できたのはある意味で大きかった。完全に死に切っていないと自分で思うことができたから。

 

適度な運動。そもそも健康でいるためには適度な運動が必要ということくらい誰でも知っているだろうし、自分でもわかってはいた。入社前と比較して体重が10キロ以上も増えていたのだから、痩せるべきなのは火を見るよりも明らかである。会社帰りにジムに通っている人たちはどこにそんなエネルギーがあるのかわからない。

とりあえず歩いた。これも最初はきつかった。続かないだろうとも思った。が、予想外に続いた。というのも明確に数字に表れたからである。食事量が減ったのもあるが、一ヶ月で3キロほど痩せたのである。歩くのが楽しくなった。足は痛い。デブだと足首や膝の負担が大きいのである。

 

早寝早起き。小学生か?これが一番難しい。午前中に起きられないのである。早起きというにはお粗末すぎるが、午前中に起きることを目標としている。つまり未だに出来ていないと言うことである。早起きして日の当たる中で散歩をするのが理想型だ。

 

 

役所にいって健康保険やら国民年金やらの切り替えを行った。「何かをする」こと自体にエネルギーが必要だったが、それ以上に「誰かと話す」ということに抵抗を感じていたため、「当たり前のことを当たり前にやる」以上にハードルが高かった。

抵抗を感じていた、というのは語弊があるかもしれない。この感覚は人によっては全く理解できないだろうし、理解できない人からは頭がおかしいと思われるかもしれないが、なんというべきか。"ちゃんとしている人に対してなんともいえない劣等感を感じる"とでも言えば良いのだろうか。得も言われぬ不安感があるというか・・・。意味がわからないが、昔からそうだったように思う。

未だにこの感覚はわからない。

 

実際に役所の人と会話してみたらなんということもなかったし、何も問題なく終わった。というか優しかった。(それが仕事なのだから当たり前なのかもしれないが。)

 

といっても役所への訪問はそこまでではなかった。事務的なものということは理解していたため、退職後2週間ほどで動くことが出来た。

 

 

問題は失業保険の申請である。

 

というのも、失業保険は「働く意思があるものの就職できていない人」を対象にしている訳であり、未だに働く気のない自分が申請して良いものかという抵抗が激しかった。おそらくすぐに働く気がなくても申請している人はいるのだろうとは思うが、それを頭では理解しても申請をする勇気がなかった。働く意思のある人間に対する劣等感も強かった。

 

そのままずるずると時間だけが過ぎていき、はや一ヶ月半。ある日父親に説教された。

正論。全くの正論であった。そしてその内容は自覚していたことでもあった。自覚していただけあって余計に辛かった。内容は思い出すと辛いので、辛くない気分の時に書くことにする。

自分の事を理解してもらえない事も辛かった。それと同時に、理解してもらえないという考え自体が甘えだと言うこともわかっていたため、それも辛かった。

「今からでもいいから最低でも失業保険を申請しに行きなさい」と父親に言われて、ようやくハロワに赴く自分の情けなさが辛かった。

 

 

 

そして今日ようやくハロワに行った。

 

 

ハロワの職員のおじさん超優しかった。

「前職はシステム開発とかやってたんだねぇ。甥が開発とかやってるんだけど、残業とか多いみたいでね。業界全体が大変みたいなんだよね…給料も見合わないよねぇ。」

「残業未払いの証拠とかあったら出してね。そういうのもこっちでできるから。」

「希望職種はまだ決まってないんだね。いろいろ検索とかもできるから探してみるといいよ。」

「次に来てもらうときに求人票を持ってきてほしいんだけど…今印刷しちゃおうか。職種は…システム開発はやめとこう(笑)。自分でも調べてほしいけど、もしほかに候補が決まらなかったら今印刷したやつで大丈夫だよ。」

 

おじさんの優しさに全俺が泣いた。

少なくとも父親よりは優しかった。

もしかすると自分と同じように保険の申請をするためにやってくる人が多いのかもしれない。世知辛いのじゃぁ。

 

失業保険の給付にはあと何回かハロワに行き、就職活動の実績なども示さないといけないらしい。

結局今回も役所の時と同じように何事もなく終わった。大したことじゃないということはわかっているし、同じように申請に来る人もたくさんいることはわかっているが、それでも非常に疲れた一日だった。

帰りは3時間弱の道のりを徒歩で帰ったため、さらに疲れた。

 

 

 

 

 

退職から今までのことを思い出しながら文章に起こしてみた結果、3000文字を超えた。

少しすっきりした。やっぱり書いてみてよかったかもしれない。もう少し続けてみることにする。

他人に読ませるようなものではないが、もし読んだ人がいたら、厳しい言葉をかけず、温かい言葉をかけてほしい。

 

 

 

最後に、今後やらなければならないことを書いて終わることにする。

 

・早く起きる。(早く起きれば自然と早い時間に眠くなる。)

・散歩を継続する。

・ハロワにいく。

・一人暮らしの準備をする。

パチスロはほどほどにする。

 

 

疲れた。寝る。